2025年11月6日、「みんなで大家さん」の出資者1,191人が、運営企業である都市綜研インベストファンド(共生バンクグループ)を相手取り、契約解除と出資金約114億円の返還を求めて大阪地裁に提訴しました。
被害対策弁護団によれば、すでに9月にも出資者5人による訴訟が起こされており、今回の集団提訴はその動きを受けた大規模なものです。
このニュースは「不動産投資の民主化」という言葉のもとに、多くの一般投資家を巻き込んだ現代の“信頼崩壊事件”として注目されています。
「なぜこうした投資トラブルが繰り返されるのか」「私たちはどんな視点を持てばいいのか」を掘り下げて考えてみたいと思います。
「みんなで大家さん」はなぜ人気だったのか?
この投資スキームは、少額から参加できる“共同不動産投資”として知られています。
たとえば、数十万円〜数百万円の出資で、商業施設やオフィスビル、ホテルなどの賃料収益の一部を分配金として受け取れるという仕組み。
リスクを抑えつつ、安定収益が期待できるという触れ込みで、特に低金利時代の日本では人気を集めました。
「銀行預金よりも利回りがいい」「実物資産があるから安心」というセールストークに惹かれた方も多いはずです。
しかし、ここにはひとつの構造的な“盲点”がありました。
それは、「不動産を所有するのは出資者ではない」という点です。
投資家が持っているのは、あくまでファンドが運用する不動産の“持分的な権利”であり、実際の所有・管理・売却の判断は運営会社に委ねられています。
つまり、運営会社の誠実さと透明性がすべての基盤になっていたのです。
「安心感」を与える言葉ほど、慎重に見るべき理由
心理学的に言えば、人は「複雑なことを簡単にしてくれる存在」に安心を感じます。
だからこそ、「専門的な知識がなくても大丈夫」「プロが運用します」という言葉は魅力的に響く。
しかし同時に、それは“思考の外注”を生み、リスクの所在を見失う危険性をはらんでいます。
投資の世界において、「誰かに任せて安心」はあり得ません。
リターンを得るための責任の一端は、常に投資家自身が負うものです。
今回の事件は、その基本原則を改めて社会に突きつけたといえます。
“集団訴訟”が示す時代の変化
今回のように、1,000人を超える出資者が団結して訴訟に踏み切るケースは珍しいことです。
これは単なる「不満」ではなく、「情報の非対称性に対する抵抗」とも言えます。
SNSやオンライン掲示板を通じて、かつては個別に泣き寝入りしていた人たちが、声を上げ、つながり、法的行動を取る。
日本社会における投資被害者の意識が確実に変わりつつある証拠です。
これは企業にとっても警鐘です。
「説明責任を尽くしたか」「契約内容を誤解させなかったか」──その姿勢が、これからの時代の最大の信用資産になるでしょう。
不動産投資における“信頼”の作り方
私も不動産業に携わる者として、このニュースには複雑な思いがあります。
不動産投資は決して悪ではありません。
むしろ、正しく行えば人生を豊かにする最も堅実な資産形成手段のひとつです。
大切なのは、「仕組みの透明性」と「相手の実績を自分で確かめること」。
たとえば、
- 物件の登記情報を自分の目で確認する
- 契約書の条文を一度プロに見てもらう
- 利回りの根拠を「数字」ではなく「現場」で確かめる
こうした“ひと手間”が、信頼を育てる最大の防御策です。
哲学的に見た「投資」と「信頼」の関係
哲学の世界では、ハイデガーが「信頼とは、不確実性を引き受ける勇気だ」と述べました。
投資とはまさに、不確実な未来に対して“希望”を込めて行う行為です。
しかし希望は、根拠なき安心感と混同してはなりません。
信頼とは、「透明性」と「誠実な行動」によってのみ支えられるもの。
だからこそ、投資家もまた「信頼する力」を磨かなければならない時代に来ているのだと思います。
まとめ:不動産投資は“情報戦”から“信頼戦”へ
「みんなで大家さん」の集団訴訟は、単なる投資トラブルのニュースではなく、
“信頼をめぐる社会的事件” です。
これからの時代、どんなにAIやデータが進化しても、
人と人のあいだの“誠実さ”が失われれば、どんなビジネスモデルも持続しません。
投資とは、相手を信じる勇気と、自分で確かめる責任の両輪で成り立つもの。
その基本を忘れないことこそ、こうしたニュースを「自分の教訓」として活かす最善の方法だと思います。


出典:読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20251107-OYT1T50018/

