私たちの社会が、これほどまでに「脆さ」を抱えていたことに、どれほどの人が気づいているでしょうか。2026年2月5日、千葉県警が不動産販売会社「N-Nine」の元社員、富塚健二容疑者を逮捕したというニュースは、単なる一事件の枠を超え、現代社会の構造的な欠陥を私たちに突きつけています。
長年に渡り不動産業に携わってきた私から見れば、今回の事件は単なる「騙し」ではありません。それは、認知症という抗えない「自己の喪失」につけ込み、信頼という最も高潔な資源をコモディティ化して収奪する、極めて卑劣な「負の起業家精神」の産物です。
「親の通帳を預かっているから大丈夫」。そう語る人々の安心が、いかに脆い幻想であるか。本日は、哲学と心理学、そしてビジネスの視点から、この事件が示す「見えない悪意」の正体を詳らかにしていきます。
物理的防壁を無効化する「デジタルの裏口」
まず私たちが直視すべきは、家族が築いたはずの「物理的なセキュリティ」が、デジタルの力によっていとも簡単に無効化されたという事実です。
被害に遭った80代の男性は、認知症を患いながらも一人暮らしをしていました。離れて暮らす息子さんは、父を想い、通帳や印鑑、キャッシュカードといった「資産の鍵」をすべて自分の手元で管理していたのです。これは、アナログな世界においては完璧に近い防御策でした。
しかし、犯行グループの手口は、私たちの想像を絶するものでした。
富塚容疑者らは男性の自宅に上がり込み、その場で「インターネットバンキング」の口座を強制的に開設させたのです。シルバー世代にとって、銀行口座とは「通帳」という実体があるものを指します。しかし、デジタルの世界では、通帳がなくても資産を動かせる「裏口」を瞬時に構築できてしまう。
これは、テクノロジーの進歩がもたらした「認識のギャップ」を突いた犯行です。高齢者にとって、ネットバンキングは「存在しないもの」に等しい。その盲点を利用し、本人の目の前で資産を奪い去る。物理的な鍵をいくら厳重にしても、壁に「デジタルの穴」を開けられれば防ぎようがありません。

「共同所有」という名の、実体のない投資の罠
次に、この詐欺グループが用いた「商品設計」の狡猾さについて解説します。彼らが被害者に売りつけたのは、埼玉県にあるマンションの一室の「一部所有権」でした。それも、相場の約8倍(約2000万円)という、ビジネスの常識ではあり得ない異常値です。

なぜ、これほどの法外な契約が成立してしまったのか。そこには心理学的な「孤立の利用」と、投資商品の「ブラックボックス化」という戦略があります。
「男性が購入させられた部屋には当時すでに住人がいましたが、男性は本来所有者が受け取るべき家賃や鍵を一切受け取っていなかったということです。」
この事実は、彼らが「所有」という概念を、ただの「送金の口実」としてしか扱っていなかったことを示しています。さらに巧妙なのは、この物件が被害男性だけでなく、面識のない別の高齢女性2名との「共同所有」にされていた点です。
ビジネスの観点から言えば、これは「所有権の細分化」による価値の隠蔽です。共同所有にすることで、被害者が一人で物件を自由に処分したり、実態を把握したりすることを困難にさせる。複数の被害者を同じ「箱」に閉じ込めることで、一人あたりの管理コストを下げ、だまし取る金額(LTV:顧客生涯価値)を最大化する。
彼らにとって、認知症の高齢者は「顧客」ではなく、思考を停止させた「キャッシュポイント」に過ぎなかったと言えるでしょう。

「使い捨て組織」による組織的犯罪の産業化
最後に、この犯罪の背後に透けて見える「組織性」について触れなければなりません。逮捕された富塚容疑者が所属していた「N-Nine」という会社は、実は2024年に警視庁に逮捕者を出した別の業者と、その実態がほぼ同一であるとみられています。
これは、法的な追及を逃れるための「リスク分散戦略」です。社名を次々と変え、摘発されたら組織を解体し、また新たな看板で同じ手口を繰り返す。被害総額が2億円にのぼるという事実は、これが属人的な犯罪ではなく、精緻に設計された「犯罪の産業化」であることを物語っています。
彼らは、法の隙間を突くために「契約」という形式を重んじます。準詐欺罪が適用されるのは、相手の判断能力が不十分であることを知っていながら契約させた場合ですが、犯人側は「正当なビジネスだった」と強弁するための証拠を、契約書の形で巧妙に残します。
この「偽装された正当性」こそが、家族が異変に気づくのを遅らせる最大の要因となります。
結び:家族の「尊厳」を守る最後の砦とは
今回の事件は、息子さんが「父親の口座から身に覚えのない出金がある」と気づいたことで発覚しました。しかし、その時にはすでに、老後の平穏を支えるはずだった2000万円という大金は、組織的な悪意の中に消えていたのです。
認知症という、いつか誰もが直面するかもしれない困難。それを、単なる「ビジネスの標的」として冷酷に計算する人間たちが、私たちのすぐそばに潜んでいます。
通帳を預かるだけでは、彼らから親を守ることはできません。デジタル化が進み、人間関係が希薄化する現代において、私たちが取り戻すべきは「対話という名のセキュリティ」です。
詐欺師が最も嫌うのは、金庫の鍵ではありません。家族の間に流れる、密で温かい空気感です。彼らは、その隙間がない家には入り込めないのです。
最後に、この記事を読んでいるあなたに問いかけます。
「あなたが最後に親御さんと、お金のことではなく、『最近、誰か訪ねてきた人はいない?』『困っていることはない?』と、ゆっくり目を見て話をしたのはいつですか?」
その問いかけこそが、どんな最新のセキュリティソフトよりも、強固に親の人生と財産を守る盾になるはずです。
出典:日テレNEWS NNN https://news.ntv.co.jp/category/society/63acbd1ced864fa29da9128dae406b5a

