「運がいい」は思い込み? 脳科学者と教育家が語る、人生の見え方が変わる5つの意外な真実
私たちは日々、溢れる情報の中で生きています。「正解」を選び、「正しい」道を進まなければならないというプレッシャーに、知らず知らずのうちに圧倒されているかもしれません。もし、この複雑な世界を生き抜く鍵が、無数の選択肢の中から「正解」を見つけ出すことではなく、世界を「見る方法」そのものを変えることにあるとしたら、どうでしょうか?
この記事では、脳科学者の茂木健一郎氏と人間教育家の小田全宏氏の対談から、私たちの常識を揺さぶる5つの意外な真実を抽出しました。人生の見え方が根底から変わるかもしれない、その本質に迫ります。
「賢い」からこそ、私たちはネガティブになる
小田全宏氏は、「人間の9割以上は、本来ネガティブにできている」という、にわには信じがたい理論を提唱します。そして、その驚くべき理由を「人間は賢いからです」と断言します。
一体どういうことでしょうか。
動物の脳と人間の脳を対比すると、その意味が浮かび上がってきます。例えば、猫や犬は「あの時、あんなことをしなければよかった」と過去を後悔したり、「来年はどうなるだろう」と未来を憂いたりすることはありません。しかし、私たち人間は高度に発達した大脳を持つがゆえに、過去を悔やみ、未来を心配することができます。これこそが、ネガティブな感情の源泉なのです。
さらに、その知性は「比較」というもう一つのネガティブの種を生みます。小田氏はこう語ります。「自分は一生懸命やっていると思っても、ふと横を見たら自分の10倍稼いでいるやつがいる。すると腹が立つわけです」。これもまた、高度な知性ゆえの苦悩です。
しかし、この事実は絶望ではなく、むしろ解放の出発点です。ネガティブに考えてしまうのは、あなたの性格が弱いからでも、心がけが足りないからでもありません。それは人間が持つ知性の「特徴」なのです。だからこそ、私たちはこの生まれ持った偏りを自覚した上で、意識的・意図的に、自分の脳をポジティブな状態へと切り替えていく必要があるのです。
「運」は出来事ではなく「宣言」である
かつて松下幸之助は、自身が創設した松下政経塾の塾生を選ぶ基準を問われ、「愛嬌と運があること」と答えたといいます。これを聞いたインタビュアーは当然、疑問を呈します。「愛嬌は見ればわかりますが、運の良し悪しをどうやって見分けるのですか?」
松下幸之助の答えは、私たちの「運」に対する考え方を180度転換させるものでした。本当に運がいい人とは、人生で何が起ころうとも、自分自身のことを「自分は運がいい」と信じ、そう宣言できる人間だ、と。
小田氏はこの松下の言葉を次のように解説しています。
人生に何が起こってもな、自分で自分のことをな、僕は運がええや信じてる人は運がええんや
では、具体的にどう実践するのでしょうか。小田氏は、日常の不運を「運がいい」宣言へと転換する、見事な思考プロセスを披露します。
道歩いててまずい膝いたとでも足が折れなくて良かったと思ったら運がいい。でも時々折れるよね。でも足は折れたけど死ななくてよかったと思ったら運がいい。でも時々死にますよね。え、だから私の研究によればあの世は結構いい世界なんです。
これは、「運」が私たちに降りかかってくる外部の出来事ではなく、自らの内側で選択する「心のあり方」であり、自分の状況について自ら語る「物語」であることを示唆しています。運は、受動的に待つものではなく、能動的に選び取るものなのです。
あなたに見えている色は、他人には見えていないかもしれない
講演中、小田氏は聴衆にある有名な画像を見せました。それは一枚のドレスの写真で、インターネット上で「青と黒」に見えるか、「白と金」に見えるかで世界的な大論争を巻き起こしたものです。
案の定、会場の意見は「白と金」派と「青と黒」派で真っ二つに割れました。そして小田氏は、驚きの事実を明かします。「元々のこの服は青と黒なんです」。正解を知ってもなお、多くの人が「白と金」にしか見えないという事実は、人々が全く同じ視覚情報を見ながら、それを根本的に異なるものとして知覚している現実を突きつけました。
この現象は、単なるパーティーの余興ではありません。脳科学者である茂木健一郎氏も、その衝撃をこう語ります。「あれは本当に衝撃だったんです。その脳科学やってる人間にとっても…未だになんで人によって見え方が違うのかを完全には理解されてないんですよ」。
この色の錯覚は、私たちの認識がいかに脆い土台の上に成り立っているかを突きつける、深いメタファーです。私たちが「明白な事実」や「客観的な現実」だと思っていることも、実は見る人によって全く違って見えているのかもしれない。この洞察は、松下幸之助が大切にした「素直な心」の真の意味を照らし出します。それは誰かに従順であることではなく、自分自身の偏見や先入観というフィルターを通さず、物事を「ありのままの姿」で見ようと努める謙虚な姿勢のことなのです。
人生は正解のない「4Dチェス」である
茂木氏は、人生を「4Dチェス」という概念で説明します。
私たちが知っている通常のチェスは、盤面という2次元空間で繰り広げられ、そこには理論上の最善手が存在します。しかし、人生はそれとは全く異なります。まるで4次元の盤上で行われるゲームのように、一つの行動がもたらす影響は複雑に絡み合い、「絶対的な正解」を事前に知ることは不可能なのです。
この概念を具体化するため、茂木氏は自身の過去を語ります。かつてある女性に騙される形で、専門外の法学部に進学した経験があるそうです。結局その道は途中で辞め、物理学の世界に戻りましたが、その一見「無駄」に見えた法学部での経験が、長い人生という4Dチェスにおいて、最終的にどのような意味を持つのかは「まだ答えが出ていない」と言います。
この複雑なゲームを前に、茂木氏が強調するのは、ゲームの外から盤面を眺めて批評する「評論家」ではなく、常に「プレイヤー」であれ、ということです。抽象的な理念を語るのではなく、常に自分自身の具体的な選択や行動と結びつけて考える姿勢が求められます。この考え方は、私たちを大きなプレッシャーから解放してくれます。唯一の「正しい道」を探し求める苦しみから自由になり、一見すると失敗や遠回りに思える経験でさえも、予測不能で複雑なゲームの一部として捉え直す勇気を与えてくれるのです。
その「事実」は本当か?メディアの情報すら疑うべき理由
小田氏は、かつての自民党総裁選に関する報道を例に、情報との向き合い方について警鐘を鳴らします。
あるテレビ局(小田先生の記憶ではニッテレ)は、「自民党員1,000人にアンケートを取った結果」として、特定の候補者の支持率が高いと報じました。しかし、小田氏はその数字の裏にある論理的な矛盾を喝破します。
当時の日本の人口約1億人に対し、自民党員は約100万人。つまり、ランダムに電話をかけて自民党員に当たる確率は、およそ100人に1人です。この確率で1,000人の党員から回答を得るためには、単純計算で10万人に電話をかける必要があります。「テレビ局は本当にそれを行ったのでしょうか?」と小田氏は問いかけます。
この鋭い指摘は、表層的な情報への警鐘です。しかし茂木氏は、さらに深いレベルでの理解、すなわち精緻な「世界モデル」を構築する必要性を説きます。例えば、暗号資産を単なる「投機」や「詐欺」と見るのは浅いモデルです。しかし、それがダークウェブでの身代金支払いに不可欠な決済手段になっているという裏の構造まで理解して初めて、その本質が見えてきます。
小田氏の逸話がメディアリテラシーの重要性を示すとすれば、茂木氏の視点は、その先の「世の中を深く理解するとはどういうことか」を問いかけます。それは、報道された事実の裏にある、目に見えない力学や構造までをも見通す、多層的な思考力なのです。
まとめ
今回ご紹介した5つの真実には、一つの共通した糸が通っています。それは「視点(パースペクティブ)の力」です。自分は運がいいと決めること、他人は違う世界を見ていると理解すること、正解のないゲームのプレイヤーであり続けること。そのすべてが、私たちの内なる「世界モデル」をどう設定するかにかかっています。現実は一つではなく、私たちの解釈を通して初めて意味を持つのです。
最後に、一つ問いを投げかけたいと思います。
もし、あなたの人生で今「問題」だと思っていることが、単に見方を変えるだけで「好機」に変わるとしたら、まず何から見直しますか?

