広陵高校の甲子園辞退とSNS発信の功罪

広陵高校の甲子園辞退とSNS発信の功罪を考える

今回の広陵高校の件は、高校野球という夏の大舞台に向けて努力してきた選手たち、そしてその周囲の人々にとって非常に痛ましいニュースでした。
事案のきっかけは、SNSで拡散された「暴力行為」に関する情報。それを受けて学校側は調査を行い、一部事実を認め、謝罪とともに大会辞退を決断しました。

まず、大前提として忘れてはいけないのは「被害を受けたとされる生徒の存在」です。
事実関係をしっかり調査し、被害者やその家族が納得できる形で対応すること。これはどんなに時間がかかっても必要なプロセスですし、その後の再発防止にもつながります。


SNSが持つ「光」と「影」

今回の事案では、SNSがなければ表に出なかった可能性があります。
SNSは弱い立場の人が声を上げる手段として非常に強力です。特に学校や組織内で声を上げにくい環境にいる人にとっては、命綱にもなります。

一方で、その情報が事実かどうかが十分に検証される前に、大勢の目に触れ、拡散し、当事者や関係者に甚大な影響を及ぼすこともあります。
さらに、「正義のつもり」で行った加害者特定や誹謗中傷が、別の被害を生むこともあります。寮への爆破予告まで届いたという事実は、まさにSNSの“影”の部分が現れた例と言えるでしょう。


「何気ない投稿」が持つ重み

テレビ朝日の井澤健太朗アナウンサーの「SNSの何気ない投稿が高校球児の夏を終わらせてしまうこともある」という言葉は、賛否両論を呼びました。
批判的な声は、「告発は『何気ない』ものではなかった」という点に集中しています。確かに、被害を訴える投稿は切実なSOSであり、軽くは扱えません。

井澤アナウンサーが指摘したのは、その後の誹謗中傷や特定行為の部分だった可能性もあります。もしそうであれば、これは私たち全員が耳を傾けるべき話かもしれません。

なぜなら、SNSでの発言は「飲み会でのひとこと」とは違い、何千人、何万人にも届き、コピーされ、永久に残ることもあるからです。「何気なく」「ちょっと正義感で」書いた一文が、相手の人生や心を深く傷つけることは珍しくありません。


私たちにできること

この件から学べるのは、「情報の扱い方」と「感情のコントロール」の2つです。

  1. 情報をシェアする前に確認する
     感情的になって「シェア」ボタンを押す前に、その情報の信頼性や背景を少しだけ調べること。
  2. 批判と中傷を分ける
     行為や制度を批判するのは健全ですが、個人への侮辱や晒し行為は別物です。相手を糾弾したい気持ちが強くても、その方法が二次被害を生む場合があります。
  3. 被害者への寄り添いを忘れない
     どんな議論が巻き起こっても、中心には「被害を受けた人」がいることを忘れないこと。

「正義のつもり」が暴走しないために

SNS時代における正義の行動は、実はとても高度なバランス感覚を必要とします。
発信は世の中を変える力を持っていますが、それは「光」にも「影」にもなる。
今回の広陵高校の件は、その両面を私たちに強く突きつけました。

最終的に目指すべきは、

  • 不正は見逃さない
  • しかし無関係な人を巻き込まない
  • 誹謗中傷や暴力に頼らない

という“成熟した社会の正義”ではないでしょうか。

この夏、広陵高校のグラウンドにはもう選手たちの声は響きません。ですが、この出来事から学べることを次の世代に生かすことこそ、本当の意味で「未来を守る」ことだと、私は思います。

広陵高校の甲子園辞退とSNS発信の功罪を考える

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